事務局より

難キ連は、日本でただ一つの教派を超えたキリスト教エキュメニカルな、難民や外国人労働者支援団体NGOです。1989年創設以来、多くの難民や、難民申請者、外国人労働者の問題に取り組み、その活動はすべて世話人団体賛同金、諸団体助成金、諸教会、個人の皆様からの貴い献金により支援活動が行われております。

  事務局ブログ>

皆様、難キ連のホームページにようこそ!!そして事務局ブログにお目通しいただけることは大変うれしく思っております。旧ホームページをご覧いただいた皆様にはJCOMのホームページも無料スペースを利用させていただいていたため、2017年1月31日をもって削除(悲しい…)されてしまい、「難キ連のHPがなくなったので広報もわからなくなって」というお声も聞かれ、何とか早く再開設したいと願いつつ、通常業務の合間にPCと格闘の日々を繰り返し、ようやくご覧いただけるようになりました。(感謝!!)左の写真は私たち難キ連の働きが神様に用いられたことにより、誕生に少しお手伝いができたマリサちゃんです。生後1か月のこの写真にいつも元気をもらいます。マリサちゃんのご両親に早く難民認定が出ますよう、認定が無理ならば人配慮のビザが出ますようにと祈りながら成長を見守っています

 

2019年1月18日 金曜日

1月17日、ミャンマー難民申請者 Tさんが2年5か月に及ぶ収容を解かれ
家族の許に帰りました。心からの感謝を込めてご報告申し上げます。
昨日17日は午前10時少し前に常磐線天王台駅でTさんの姉Eさんをピックアップし、
一路牛久市の東日本入国管理センター(通称牛久収容所)へ向かいました。
これまで面会支援にご協働いただきました皆様はご存知の通り、
牛久駅からのバスも1日9本、タクシー利用では片道3000円という辺鄙な場所にあり、
しかも保証金納入先の日本銀行代理店が置かれた常陽銀行竜ケ崎支店と収容所の往復にはさらに
タクシー利用でも1時間余りを要し、
Eさんへの入管からの仮放免許可連絡の際、利用交通手段を問われ
(難キ連に相談前でしたので)、Eさんの電車とバスで、との答えに
それでは間に合わない、と言われたそうです。
思いがけない難キ連からの収容所、仮放免手続きのための送迎支援に何度も感謝を表し
車中でも家族の収容経験を話しましたが、収容所に到着した時点で発した
「牛久に入っている人は30~40代がほとんど、こんなところに入れないで、外に出してくれれば
皆、働いて税金を納めるのに…」Eさんの言葉は、まさに常日頃難キ連が訴えている言葉でした。

当初、手続きは昼休み後の13時以降と予想しておりましたが、
収容所到着は10時40分、すぐに受付で手続きを始めて国庫金納入書(保証金)を受け取り
竜ケ崎市に向かいました。快晴に恵まれ、また道の混雑もなく、銀行に到着し
銀行も空いており、持参した100万円を納めるとすぐに収容所に引き返し、何とか12時10分前に到着
午前の受付に間に合いました。本当に感謝でした。一瞬、一瞬に神様のお見守りとお恵みがありました。
午後の受付になれば、当事者が解放されるのは午後3時近くになります。
足の悪いEさん、病身のTさんの帰途を思うと、何とかラッシュを避けたいと願っておりました。
1時半前にはTさんが職員に伴われて現れて姉弟は2年半ぶりに手を取り合い再会に涙しました。
Eさん姉弟を再び常磐線天王台駅まで送り2時半過ぎ同駅到着、電車の空いている時間の乗車に間に合いました。
収容所まで足を運びながら面会はできませんでしたが、途中、
2009年に収容面会し、無国籍ネットとの協働で仮放免支援をした
コソボ難民男性が心身ともに疲弊し再支援を求めているとの相談電話対応も。
難キ連の扉をたたくのは、長期仮放免にある非正規滞在の人々であり、ともに歩むことの難しさと自身の無力さに
落ち込むことも多く、特に昨年は8ヶ月にわたり全く稼働できず、自身に向けられる何気ない言葉にさえ傷つくことばかりでしたが
2018年日本聖公会横浜教区の年句 「私はけしてあなたから離れず あなたを置き去りにしない  ヘブライ人への手紙13章5節」
に慰め強められ、また、入管内外で悩み苦しむ多くの人々を置き去りにしない働きを願い祈ってまいりました。
皆様の御祈りに心から感謝申し上げます。Eさん姉弟との時間、
長期収容から解かれる喜びと安堵を(一時にせよ)共有させていただき、また働かせていただいた事が本当に有り難く心から感謝です。
仮放免の日々の辛さは、時には収容よりも酷なことは多く、Tさんに一日も早く治療のための特定活動ビザが出ることを
心から祈っております。ビザが出れば、Eさんの汗の結晶ともいえる100万円は国庫金から即返還されます。
今後の医療と生活相談に、次週金曜日の相談予約を受けEさん姉弟と別れましたが
本日の相談者はコソボ難民男性と支援者の方です。
宣教師 デボラさんが対応いたします。

厳しい寒さの日々、皆様のご健康が守られますよう
心からの感謝を込めてお祈り申し上げます。

 

2019年1月12日 土曜日

寒い日が続いておりますが、皆様にはお健やかにお過ごしでしょうか。

難キ連活動へのご理解とお祈り、ご支援に心から感謝申し上げます。

さて、明日は東日本入国管理センター(牛久収容所)から収容2年5か月の ミャンマー難民申請者 Tさんが仮放免になります。

毎週金曜日午後は事務局にて相談日としており、 Tさんの実姉Eさんが度々事務局を訪れ収容中のTさんについての相談を受けたのが昨年11月、 其の後事務局佐藤がTさんに面会、現状を聞き取りいたしました。

滞日28年のTさんは、2010年に一度目の収容10か月の後仮放免、其の後行動に異常が見られ特に対人恐怖症の症状が現れたことから 2016年8月S精神科にて診療を受けました。その際、主治医作成の精神科に加え糖尿病、高血圧の診断書を、本来の出頭日以前に 入管に提出に行った際に収容された2度目の収容は2年5か月に及び、 現在に至りました。

糖尿病、高血圧は収容所内でも投薬治療を受けてきましたが、 3度目の仮放免申請が却下された昨年8月末のあくる日に 血圧が170以上まで上昇、嘔吐して独居房に移されました。 11月の佐藤面会時に面会室に現れたTさんは物静かな初老の男性という風情で 面会時にも淡々と病状を伝えてくれましたが、収容中歯が抜け落ち 食事が困難で、姉Eさんが送ってくれるお粥のパックが頼り、

と力なく笑顔を見せました。 次回の面会を約束しながら、12月中旬から事務局佐藤は体調不良により面会不可能となり また、

これまで難キ連面会ボランティアとして親身な面会支援から 被収容者の信頼を集めていた袴田さんも、

ご家庭の事情から継続的な面会が難しくなり 案じていたところ、先週金曜日11日午後、Eさんの再訪を受け、

Tさん仮放免にかかる相談を受けました。 入管からTさん仮放免許可の連絡があり、

1月17日木曜日、保証金100万円でTさん解放とのこと、 問題は、Eさんの住む都内から牛久の収容所での仮放免手続きです。

被収容者が仮放免許可を受ける手続きは

1、保証人が入管センターで国庫金納入の手続きを行う

2、入管のある牛久市久野町から竜ケ崎市にある常陽銀行竜ケ崎支店で保証金を振り込む

3、その領収書をもって入管センターに戻り、仮放免許可の手続きを経て本人が解放される

センターと竜ケ崎市にある銀行の往復には1時間以上を要します。

車での移動手段を持たないEさんが同国人に依頼したところ

仕事を休んで牛久に同道することで、3万5千円を請求されたとのことです。

Eさんには、Tさんの他に病弱な妹夫妻、弟(Eさん以外非正規滞在)があり、

ビザのあるEさんが長年働き家族を支えてきました。 この度の保証金100万円には減額交渉も試みたものの 入管は頑として減額せず(2016年ころまでは難民申請者の保証金は30万円以下でした。また減額交渉にも応じてくれました)

Eさんはなんとか保証金を準備したそうです。

ボランティアTaさんと共に Eさんの抱える多くの問題に耳を傾け、Eさんには 難キ連ではこれまで何度も仮放免手続きを経験しており協働することを伝えました。 17日は、佐藤運転の車でEさんと共に、牛久収容所に向かい 保証金の納入、仮放免手続きを行い、また最寄り駅までの送迎支援を行います。 日本に庇護を求めてやってきた1990年頃は 労働力を必要とした日本では比較的安易に仕事を得ることができました。 2012年の入管法改定、外国人登録の廃止などで 非正規滞在の人々の置かれた状況は厳しさを増すと共に、彼らの加齢、疾病が容赦なく 初老に差し掛かった難民申請の人々はあらゆる社会保障制度から疎外されております。 牛久には、インド人シク教徒教師のSさんはじめ長期被収容者が 強制送還に怯え、先の見えない生活を強いられております。 複数の疾病を抱え、歯も抜け落ちているTさんの解放は、 その収容時の入管の対応、今回の突然の仮放免は 病が改善しない被収容者の治療打ち切りを求めるものなのか 疑問はたくさん残りますが、歯科治療、内科受診の医療相談を 次の課題として先ずはTさんをEさんと共に牛久に迎えに参りたいと思っております。

厳しい寒さの日々、皆様のご健康が守られますよう 心からの感謝を込めてお祈り申し上げます。

 

2018年10月21日 日曜日

~ 事務局デスク 振り返ってみると… ~                  

 

今年に入ってから、持病のメニエル病の再発、眩暈嘔吐が頻繁に起こり、いつ、どこで起こるかわからない眩暈は回復するまで数10分~数時間かかり、幼きイエス会二コラバレをお借りしての日本語教室、牛久、品川の被収容者面会支援、様々な外部会議、申し入れなどは休ませていただき、専ら電話相談やメールでのお問い合わせ、FBページ編集、に従事致しましたが、9月○○日、午後、電話が鳴りっぱなし。牛久の被収容者3名、熊本市のK先生、難民の子供の支援についてTさんから。事務局デスクを担って18年目を迎えますが、小さな団体である難キ連の活動に関心を寄せてくださるお電話は本当にうれしい限りです。

振り返ってみますと、ケースワークを持たない難キ連が関わった非正規滞在に置かれた長期仮放免の難民申請者や移住労働者家庭の加齢と疾病の問題や再収容は尽きることがありません。特に現在心を痛めているのは、2017227日に滞日26年のインド人シク教徒難民申請者のSさんが10年という長い仮放免の後に東京入管収容場(品川)再収容され、17か月が過ぎた今も品川から移送された牛久収容所に収容されていることです。仮放免とは定期的な入管出頭(1~3か月毎)が義務付けられ、許可延長申請に出頭した際には「今日で仮放免は終わりです。収容します」と、突然の収容があります。Sさん一家の長子GR君は高校2年、弟妹は中学生、各々進級直前のことでした。難キ連が相談に対応したのは丁度10年前、Sさんの最初の収容の時で、GR君は当時小学生で病弱な母親を助け、難キ連から送る食料にお礼のメールを送ってくるのも彼でした。父親の再収容は容赦なく家族を分離し母子生活を余儀なくさせ、その苦しい生活を2017715日の難キ連チャリティコンサートで母親のKさんともどもGR君が証言、また12月には都内の大学でシク教徒への迫害について証言しました。長年共に祈りつつ物心両面の支援を続けてくださる支援者Sさん(カトリック)に感謝しつつに何とかSさんの解放と一家の正規滞在化を祈る中、Sさん収容中の20184GR君は他国のシク教徒団体の支援で大学進学を果たしました。しかし、父親の代わりに病弱な母親を助け弟妹の世話をするGR君にのしかかる重責、初めて学ぶ大学生活の中、様々な問題に直面し疲弊しきっている状況は否めません。Sさん仮放免を懇願する嘆願書を83日提出しましたが、2か月近い今もまだ収容は解かれません。

牛久の収容所内からの本日の電話の人々もすでに2年余りの収容です。牛久、品川からの面会を希望する被収容者からの電話がない日はありません。メンタルケア、そして不必要な収容の回避と収容処遇面の改善を求めて長年通い続け多くの被収容者に接して参りましたが、現在の面会支援最大目的は被収容者の心身の健康保持に他なりません。この何年も収容所内の死亡が続いております。2017325日にはインドシナ難民NGさんがクモ膜下出血発症後1週間近く訴えを無視、放置され死亡いたしました。2018413日にはインド人男性が仮放免不許可の出た翌日に自殺しており、その後次々に自殺未遂が起こりました。被収容者の人権侵害が余りにも多いことを否めない現在、内部からの発信がない限り、だれがどのように収容されているかわからないブラックボックスでもある入管収容施設で長期収容回避への働きは急務であり、被収容者面会支援活動には継続的かつ丹念な聞き取りと弁護士、支援機能への取り次ぎを欠かすことはできません。(数年前、体重激減で点滴治療を必要とした難民女性の解放のために連日牛久に通い面会と交渉を行ったこともあります)現在の面会には日用品、衣類、テレフォンカードのみならずレトルトカレー、コーヒー、紅茶などの差し入れを行っておりますが、ほんの一時でも彼らに笑顔を取り戻させるのです。牛久市在住の面会支援ボランティアHさんの熱心なお働きも難キ連入管被収容者面会支援活動の強力なお支えになっております。度重なる収容で自殺未遂を繰り返した難民男性もいました。しかし、現在は日本人妻の支えにより立派に日本社会で働いております。

入管での過酷な取り調べ、多国籍の被収容者と一室に閉じ込められる収容生活の中で、日本に庇護を求めるまでのPTSDを悪化させた例もあり、平和な安定した生活を得た後でもフラッシュバックに悩まされる人もいます。事務局デスクほぼ18年の日々を振り返ってみると…18年前のアフガニスタン難民受け入れのころと変わらない難民鎖国日本にため息が出ます。「出入国管理および難民認定法」という法制度の中で、日本にやってきた難民の人々が難民と認められることが極端に難しい状況から非正規滞在者となり、あるいは日本社会で移住労働者として社会の底辺を支え日本経済に貢献しながら超過滞在となった人々が囚われの身となる「入管収容生活」に、ほんの少しでも、彼らの心身を支え、人間として彼らが尊重されるべく希望が持てる道を見出すことができるよう、これからも主のお導きとみ旨に従い、祈りつつ入管被収容者面会支援活動を続けてまいりたいと願っております。(文責 事務局長 佐藤直子)

 

2018年6月30日 土曜日

主の平安がありますように

6月28日木曜日、日本聖公会横浜教区社会委員会、婦人会、諸教会の総勢21名の皆様に

東京入国管理局収容場の被収容者面会支援活動に ご協働いただきまして誠にありがとうございました。
厚くお礼申し上げます。
21名のご参加を頂き、難キ連スタッフ2名を加え23名で
16名の被収容者に面会差し入れすることができました。
東京入管ではあまり説明をする場所もないために
牛久面会のように一人の被収容者に複数グループが面会という組み合わせができなかったために
被収容者の中にはもうすでに 東京入管に存在していなかった被収容者もあり、
1名にしか面会できなかったり、 また M先生、T様、F様には 申請書を4名に出していただいたにもかかわらず
一人も面会できなかったという事態が生じてしまい 誠に申し訳ございませんでした。

面会受付での「ここにいません」という答えには 牛久、あるいは長崎県大村の収容施設への移送、
強制送還、仮放免、のいずれかの理由が考えられますが (この春には、牛久では死亡、という事例も)
私ども支援者には当事者からの発信がない限り、所在を確認することはできません。
前々日の火曜日26日も難キ連佐藤は、申請書(皆様にご記入いただいた)を受け取りにに出向いたのですが
3か月ぶりの面会申請を出した金さん他一名はすでに収容所を出ており やはり一人も面会は出来ずに戻りました。

佐藤が面会支援を始めて18年になりますが 4時間待って、一人にも会えなかったことや、
前週末に面会し入管側にも送還回避を訴えたにもかかわらず、日曜朝早くに送還されていたり
前日の夕方に面会したのに、翌日には強制送還された例もあり
支援者の方からの切羽詰まった依頼に牛久に走ったらすでにいなかった…などなど
日本中の外国人収容施設の中は、まさにブラックボックスであり
名簿にある被収容者が全て収容施設の中にいると確認が難しいため
品川、牛久に出向いても目的を果たせず徒労に終わることも珍しくありません。
しかし
今回のようにM先生はじめ、初めて入管被収容者面会、差し入れに参加された皆様にはせっかく
面会支援に参加していただいたにも関わらず 実際の被収容者面会をしていただけなかったことは
上述の様な収容の問題はあるにせよ 痛感の極みであり、心からお詫び申し上げます。

今回,佐藤はS様、A様と3人で3名に面会致しましたが、
内、女性2名につきましては、佐藤に何度か電話が入っており安否確認いたしました。
成田空港で夫婦で難民申請したスリランカ人夫妻は別々に牛久、品川に移送収容されたHさんと
羽田空港から品川に収容されたウガンダ人女性Nさんです(ともに英語)
各々が抱えている問題については、牛久に収容されているHさん夫への面会も必要であり
これから面会聞き取りを重ねて 支援の方向性を探ることが必要になります。
差し入れのテレフォンカード、タオル、石鹸、ノート、ボールペンを喜び
3人の面会に笑顔を見せてくれました。彼女たちの後、
2014年にウズベキスタン難民女性をカナダに送った経験から
ウガンダ人男性にも面会致しました。
私自身、彼女が見せた旧ソビエトのKGBへの恐怖は今も脳裏に残っておりますが
当日面会のPさんは卓越した日本語能力を有し、柔和な笑顔を見せながらも
母国の家族の話になると厳しい表情を見せました。

現在、皆様の聞き取り票を拝読しており、後日報告させていただきます。
また、品川、牛久、成田、長崎大村、横浜、大阪、名古屋…日本全国で1500名の
入管被収容者が無期限の収容生活を余儀なくされております。 先の見えない収容を「刑務所より酷い…」と

つぶやいた被収容者もいました。
来週、難キ連では牛久面会、差し入れを予定しておりますが
どうぞ、被収容者の一人一人の健康が守られ、
各々の人生に最良の道が開かれますようお祈りくださいませ。

明日は、難キ連難民日本語教室から4名の難民申請者(うち2名は長期仮放免難民申請者)が
N1,N2,N3、とそれぞれのレベルに応じて受験いたします。
品川に同行してくださったボランティアTKさん、
柏聖アンデレ教会会員、ARさん、AAさんに
生徒各々のレベルに応じた受験指導を頂きました。
明日の難民日本語受験生が試験において
各々の力を存分に出せますようお祈りくださいませ。

関東地方は例年にない早い梅雨明け、猛暑が続いております。どうぞお健やかにお過ごしくださいますよう
難キ連活動へのご理解とご支援、ご協働に心からの感謝を込めて
皆様のご健康と主の限りない豊かなご祝福をお祈り申し上げます。
栄光在主
難キ連 事務局長  佐藤直子

2018年1月18日 ㈭

昨日の雨が嘘のように首都圏は青空が広がり、幾分寒さが和らいでおります。
皆様にはお健やかにお過ごしでしょうか。
さて、昨日1月17日は難民を含む長期仮放免の人々のアムネスティを求める会議、難民の保護に関する会議と続けてあり、
雨降りしきるなか都内を移動いたしました。どちらも深刻な問題であり、支援者、支援団体間の連携、協働が求められる中、
何よりも法制度の問題であり、その運用に人道的要素がなければ前に進むことはできません。

午前中会議資料の準備をしている途中で、一本の電話が入りました。
東京入管収容場からの電話、流ちょうな英語でかけてきた電話の主は、かつて牛久の東日本入国管理センターに3年余収容されていた女性Kさん、 何年も前にお祈りのお願いもさせていただきました。仮放免後4年半後の再収容です。
私どもが面会支援を始めたのは2012年牛久収容所でした。熱心なクリスチャンであり、母国語はもちろん卓越した日本語能力と英語も駆使し、 収容所内では時には通訳としても用いられていました。

彼女からの聞き取りによれば、20年以上前に(当時)留学生として日本にやってきたKさんが非正規滞在となったのは4年間の生活を終えて大学卒業後、 大学院進学を前に一時母国に帰って日本に戻り、大学生としての就学ビザが切れた後、
どういうわけか彼女に与えられた15日間のビザが起因となりました。何度か母国に戻ってビザの更新をしたものの、
半月ごとに帰国を余儀なくされた彼女の研究生活は続けられず、(1980年代終わり~1990年代)入管に相談した際に、
このまま再申請しないで日本に居続ければどうなるかと尋ねたところ「超過滞在=不法在留になるけれど特に何もない」??というような回答だったそうです。
バブル期、非常に多くの外国人が入国していました。入管の対応もゆるく?外国人登録もまだ非正規滞在でも可能だったころです。
その時点で彼女は学業をあきらめ、奏楽や教会学校など教会での奉仕を中心に仮放免者としての生活が始まりました。
しかし、2001年のアメリカ同時多発テロ後のアフガニスタン難民収容や、首都圏の不法滞在者の半減宣言(2003年10月)後は、
超過滞在者への取り締まり、摘発が続き、彼女の収容理由は「長期の超過滞在は日本の法律を馬鹿にしている」?、
「入管から騙された。絶対に仮放免などでは出たくない。ビザが出なければ私は(入管収容所から)出ない」
私どもが面会した時に彼女は面会の度に主張、仮放免申請も出してはいなかったのですが、
信仰は深く篤く、2011年の震災の時も阿鼻叫喚の所内で彼女の部屋では皆祈りを捧げ静かだったと聞きました。
その収容が3年になった時、入管は仮放免許可を出しました。
刑事罰など前科もない彼女の言い分に、頷く一方、すでに退去強制令取り消しの裁判も終わっており、
母国の状況から難民申請などはあり得ない、当方には支援の手立ても物理的な食糧支援しかできませんでした。
仮放免中、彼女は決して幸せとは言い難く何度か帰国も勧めたのですが、
「入管の間違いを正さなければ私は帰国できない。また、年老いた両親に迷惑をかけることはできない。」
週明けの面会を約束して電話を切りましたが、4年半の仮放免生活は彼女の心身の健康を奪い、
特に精神的に追い込まれた状況は心を壊し、すべてに対して(支援者に対しても)疑心暗鬼の目を向けるようになりました。
「神様は本当にいるのだろうか」と話すことも。また仮放免許可延長のための入管出頭も拒んでおりました。
彼女の心身の回復と、なにより、正規滞在化(就労できる)が与えられることをひたすら祈っておりましたところへの
Kさんからの電話は以前の健康な頃の彼女でしたが、再収容の連絡でした。
昨日の長期仮放免者(難民を含む)のアムネスティを求める会議においては彼女を事例として挙げることができませんでした。(口頭では伝えたものの)
最後のよりどころとなっている難キ連は、未だに父親の収容が解かれていないシングさんご一家、アフシンさん、Mさん、Yさん…、
20年にも及ぶ仮放免者、長期入管被収容者の人々とともに歩んで参りました。
正直のところ、どのような支援が今できるのかわかりません。ただ、Kさんのアムネスティのために
週明けから、Kさんの被収容面会支援を通して彼女とともに歩む所存です。
神様の御業が彼女の行く道に顕されますように祈りつつ面会したいと思います。
難民、移住労働者、全ての外国籍住民には各々の背景があり、
超過滞在になった経緯も様々です。
しかし、今、日本にいるという事は動かせない事実、それならば人間の尊厳、人権が守られる生活が与えられますよう、
今年も、難キ連は誰もが居心地の良い共生社会を、多民族多文化共生社会を求めて働きたいと願っております。

 

2017年12月13日、長期仮放免と長期仮放免者の(難民申請者)収容にかかる問題についての会議出席。

2017年12月15日

午後、面会ボランティアHさんと食料や日用品を携え埼玉県某市のSさん宅訪問いたしました。

Sさんは東日本入国管理センターに収容されていた難民申請者Aさんの仮放免許可申請の際の住居提供を引き受けてくれました。

母国語しか話せないAさんは疾病も抱えており、通訳なしでは意思疎通も出来ません。

通訳として奉仕してくださったSさんが難航していた仮放免申請に住居提供の申し出をしてくださったのです。

Sさん自身も仮放免難民申請者(改宗)であり、日本人養母さんの介護と家事全般をこなしてその合間には母国語しか話せない同国人難民申請者の通訳奉仕をしています。

整理整頓され隅々まで清掃が行き届いた部屋で養母さんも同席のもと、3時間にわたりSさんとAさん(Sさんの通訳を介して)のお話を伺いましたが、

母語しか話せないため居心地の良いSさん宅で始めた生活の中で、まだ日本社会の厳しさや仮放免の制限条項を深刻に受け止めていないAさんに対し、

ぎりぎりの生活の中で様々な心配りと日々の苦労をにじませ自宅提...供後のAさんの生活を案じるSさんのお話を深く受け止めました。

母語しか話せないAさんの独りの生活には無理があり、短期間ならば、という通訳奉仕のSさんに甘えた形での仮放免許可になりました。

帰途、Hさんともども確かな受け皿準備のない難民申請者の仮放免許可に危うさを覚えました。

 本来、庇護を求めた難民申請者の収容は回避すべきであり、さらに仮放免に際し、

安定的な、通訳、居場所、生活支援といった受け皿整備がなされていないことに怒りと悲しみを覚えました。

怒りは行政に対してであり、悲しみは何ら支援機能(シェルター、生活資金支援といった)を持たない極小団体の無力さに対して。

長期仮放免難民申請者の最後のよりどころとなっている弊団体難キ連は

仮放免後の生活苦や、ホームレス状態に「入管の方がまし」といった仮放免者にもあいました。

弊団体の入管被収容者面会支援の主目的はメンタルケアですが、

被収容者の人々が仮放免にせよ、(帰国にせよ)心身ともに健康な状態で次の一歩を踏み出せるよう願っております。

長期仮放免後の収容の苦しみ、家族分離の生活、

さらに長期仮放免難民の家庭は翼をもがれた鳥、見えない鎖でつながれての生活、といっても過言ではありません。

皆様、どうぞ難キ連が関わる難民申請者の人々、日本社会の底辺を支えてきて超過滞在となった外国人労働者の人々のために

彼らに人間の尊厳が守られる道が開かれますよう

お祈りくださいませ。

2017年12月10日、
小春日和の日曜日午後、難キ連難民日本語クラスの生徒さんとボランティアTさんとともに日本語講師A.R先生のお宅へ。
先生のご厚意によるクリスマス祝会を開いてくださいました。
外国生活の長い先生のお宅には様々な国々のクリスマスデコレーションと大きなツリーが飾られ歓声をあげました。
小職のお祈りで始められた昼食はお好み焼きと鮭ずし、細やかなお心の行き届いた食材のご準備でみんなでにぎやかに焼きながらいただきました。
母国の迫害や暴動で、単身日本に庇護を求めた難民生徒さんたちにとって、
暖かな午後の陽射しがあふれる明るいリビングでのお食事になんと心を癒され励ましをいただいた事でしょうか。
食後は持ち寄ったクッキーやチョコレートでお茶を頂きながら、先生の経験豊かなお話も拝聴、心通い合う楽しい午後となりました。
初級ご指導くださるAA先生は教会の食事当番のためご欠席、N1を目指す生徒さんが体調不良のため欠席と残念でしたが、AR先生の暖かいおもてなしに一同感謝いたしました。
本日17日は日本語クラスの今年最後の授業です。
難キ連難民日本語講座を再開して1年が過ぎましたが、AR先生、AA先生の熱心なご指導を受け、生徒さんたちは来年、日本語能力試験N2,N3、N4を目指します。
 弊団体は非正規滞在に置かれた長期仮放免難民申請者の最後のよりどころとなっていることを否めません。
本日の出席者の中には、長い仮放免生活をおくっており、 居住地隣県への参加のため、
事前に入管において旅行許可を受けた人もいます。
彼らにとって日本語習得の目安でもある資格取得が、人生を光ある方向へ(正規滞在化)、に導く道標となりうるよう、
そして言葉による不利益を被ることがないよう祈ってやみません。
難キ連難民日本語講座継続のために、また学ぶ一人一人の生徒の皆さんのために
お祈りくださいませ。
2017年12月7日
夕刻より、昨年に続き都内立教大学多文化共生講座にお招きいただき
弊団体の活動報告、引き続き仮放免難民申請者G君が証言いたしました。
インド人シク教徒難民高校生G君は、彼が作成した映像ファイルを駆使し80名の学生にお話ししました。
「僕は生まれた時から仮放免…」。日本では報道されていない、 今なお続いている母国インドにおけるシク教徒への弾圧、
迫害、が映像とともに淡々とG君の言葉で紹介しました。
なぜ、両親は日本に庇護を求めたのか、難民申請をしても認められない20年余に及ぶ日本での生活の間にも、
インドパンジャブ州におけるシク教徒への迫害は続いており、つい最近も結婚のためにイギリスから帰国した男性が殺害された様子、
シク教徒の礼拝注に警察が下水を放水、逃げ惑う教徒たちへさらに催涙ガスを放ち、何人もの犠牲者を出している映像には言葉を失いました。
インド政府と日本政府の良好な関係は国際協力の面からも報道からも認知されているその裏面で
ヒンドゥ至上主義の民族浄化ともいえるたった2%のシク教徒への弾圧が行われていること、
弾圧の様子の動画はG君は無言で流し、聴講した母親Kさんは目頭をぬぐいました。
日本に庇護を求める難民申請者はシリアやアフリカからだけではありません。難民申請者の一人一人の背景を多くの人に知ってほしい!と切に祈った夕べでした。

G君ご一家との出会いは2010年1月の父親の収容において、
受任弁護士様からの入管内での信教の自由に関しての相談が始まりでした。
当時小学生だったG君が弊団体からの些かの支援にもメールでお礼を送ってくれ、
夫の収容で体調を崩した母親とまだ未就学の弟妹の世話をしていたことを思い出します。
今、また再度突然収容され10か月になる父親に代わり、一家を支えながら、卓越した能力でPCを駆使し、
更なる向学心に燃え進学しようとしております。
 仮放免難民申請の子供たちはG君だけではありません。日本で生まれ育ち、日本でその能力を生かしたい、進学したい、時には母親のために通訳の役目も担いながら成長しています。かつてクルド人の小さな男の子に「大きくなったら何になりたい?」と尋ねた時、回らぬ口で「つうやく」と答えました。
非正規滞在に置かれた子供達、子供達は誰でも生まれる場所を選べません。日本で生まれ育ち日本を故郷とする子供達、今、非正規滞在に置かれた難民申請家庭の子供達、OS家庭の子供達が望む道に何の戸惑いもなく進めることを願ってやみません。
 
2017年11月30日
11月の最後の日は午前中から、日頃弊団体活動を教会ぐるみでお支え下さるジョイチャペル様会員のNさん、
元同僚Sさんとのランチを挟んで信仰について語り合うめぐみのひと時を終えて、
夕刻、宣教師Dさんと難民申請者家庭を訪問しました。長期仮放免の父親が突然再収容されて10か月が過ぎました。
父親の留守を守る母子の家庭を支援者の方々が支えています。
生まれた時から仮放免の子供達は父親の二度の収容に健気に耐え、
母親を支え勉学にいそしみ成長しています。車のナビに翻弄され?道に迷い、予定より1時間近く遅く到着した私達と様々な進捗状況を話し合い、 暖かい手料理をふるまってくれたお母さんと子供達のもとに父親が戻るのはいつなのでしょうか。

宣教師、事務局、支援者がかわるがわる入管面会を繰り返し、その一方で今後の一家の行く道に光を求めて進めております。
難民申請者に不寛容な日本社会から飛び立つことも視野に入れながら。
収容中の父親、母親と中高生の子供達も、もし何らかの在留許可(難民認定が無理であっても)があれば日本社会の貴重な人材になるであろうことを確信し、 難民鎖国日本の開国と改善―不必要な収容の回避、就労可の仮放免、非正規滞在に置かれた長期仮放免家庭の正規滞在化を切望し、 一家の統合を祈りながら帰途につきました。

どうぞご一家のためにお祈りくださいませ。
心からの感謝を込めて
2017年10月7日 土曜日
季節の変わり目、急に寒さを感じるこの頃ですが
皆様、お健やかにお過ごしでしょうか。
さて、以下はFBの難キ連ページに公開しておりますが
お祈り下さるすべての皆様にご共有いただき
入国管理局の収容施設に収容されている、難民や外国人労働者の
方々をお祈りの内に覚え、彼らの心身の健康をお祈り下さいませ。
また、家族の父親のみが収容されているケースも多く、
家族分離の期間が長く続けば、子供たちの成長にも深刻な影響を与えております。
どうぞ現在増え続けている入管被収容者のために、その家族のためにお祈りくださいませ。
10月5日㈭、日本聖公会横浜教区の皆様16名に牛久収容所被収容者面会、差し入れ支援にご協働いただきました。
聖アンデレ柏教会にご集合いただき、1時間の面会心得、注意事項のレクチャーと申請書記入を終え、
牛久に向かいました。午後1時半から4時申請終了時間まで6グループに分かれ12名の被収容者(健康悪化、長期収容、帰国希望者、難民申請者、個々の問題に応じて)聖職者の諸先生に面会の中心となっていただきました。
横浜教区社会委員会が入管収容問題に関心を寄せ、牛久品川両面会支援が始まって10年余りになり、
その間、入管内の問題は徐々に聖公会諸教会に伝えられ、物心両面からの支援が、難キ連の活動を通して、
被収容者の方々、仮放免難民申請家庭への暖かいご支援に至っております。
昨年からは婦人会感謝箱献金様のご支援で難民日本語教室再開に至りました。
10年以上にわたるご支援の広がりに心から感謝申し上げております。
毎回のお一人お一人の暖かな面会支援が被収容者の方々の心にに確かに届いており、
今回も当夜は、面会した被収容者の方からお礼の電話が入りました。
差し入れの品々と面会者の皆様の笑顔に接し、本当にうれしかったとこちらが恐縮するほどのお礼の電話でした。
 弊団体難キ連では、ほぼ定期的に牛久、品川両収容施設に面会支援活動を行い被収容者の方々へは、細々ながら差し入れを続けております。諸教会、個人からの献品、また献金で購入する物品が差し入れに用いられます。
現在、牛久も品川も仮放免申請がなかなか許可されなくなっており、特に2年以上、
品川、牛久通算も含めて、長期被収容者の人々の焦燥感は私たちの想像をはるかに超え、心身ともに疲弊しています。
これまでの横浜教区面会支援活動で、前年も面会、一年後の今回も面会という方が複数名(一年以上の収容!)の状況の中で、帰国の決心をしたペルー男性Mさんから今後の生活への決意を聴き同席の方と共に励まし主のお導きをお祈りしたところでした。
 弊団体は連絡会という団体の性質上、保証人、保証金、住居の準備は難しく、
被収容者の方々が望む仮放免許可申請支援は残念ながらできません。
それでも、ますます増える長期被収容者が収容所生活の中でほんの一時でも笑顔になれ、
心身の健康を保持するべく面会支援を初めて間もなく18年目を迎えようとしております。
弊団体が面会する彼ら一人一人の将来を見据えて、不必要な収容回避を求める一方、次のステップ
(仮放免で日本社会に生きる、あるいは母国に帰る、第3国再定住出国を目指す)を心身共に健康で踏み出すための支援活動でありたいと心から願いつつ牛久、品川に向かいます。
 
 牛久や品川の面会待合室でお会いする多くの被収容者面会支援諸団体の皆様のお働きにも心からの感謝を込めて、お一人お一人のご健康をお祈り致します。
皆様お一人お一人のお祈りに
心からの感謝を込めて
ご健康が守られますように。
主の限りない豊かなご祝福をお祈り申し上げます。
* 9月5日投稿のAさんは仮放免許可され、収容を解かれました。これからのAさんの生活が守られますよう、
一日も早く治療が行われますよう、支援に関わってくださる諸団体の皆様に心から感謝申し上げつつ、
お祈り致します。

 

2017年9月5日 火曜日
このところ、茨城県牛久市にある東日本入国管理センター(通称 牛久収容所)被収容者面会が続いています。
今日もアフリカ出身男性Aさん面会。Aさんの経緯は次の通り、現在仮放免許可が出ているにもかかわらず仮放免許可の施行日は告げられていないが、保証人の方と連絡、2週間後と分かり本日告げたところ、2週間も待てないと怒り出しました。(以下面会報告より抜粋)Aさんは陽気な賢い青年ながら本日の面会では、これまでの入管に対する怒りをすべてぶつけるように興奮し声高に不満を訴えました。保証金もすでに準備されており、これまでの仮放免支援の経験からもなぜ2週間も待たされるのか?仮放免許可はすでに告知され、保証金を納入すれば手続きを進めることができると思っておりました。彼は2014年11月22日のスリランカ男性が品川で死亡した際にも同じ棟のすぐ近くの部屋におり死亡までの経緯をつぶさに知っており、この3月に死亡したベトナム難民男性のくも膜下出血で倒れた際にもすぐ近い部屋におり、「入管が殺すんだ!!」と叫ぶ… トラウマになっているのは間違いありません。仮放免前に再度面会を約束して退室しましたがこちらも心ふさぐ面会となりました。(以下 面会報告より抜粋)明日は多国籍家庭の家族統合相談対応です。

…201717日居室内で同国人と話したいる間、イラン人2名が喧嘩をはじめぶつかった際(本人談)その際、右手首を損傷、痛みと腫れがあり、警備担当官に痛みを訴えたが、痛み止めを渡された。その後、痛みが引かないため、何度も訴えたがそのたび痛み止めを渡され、あまりに痛みが引かないので再々度訴えて、417日収容所内の医師によりレントゲンを撮る。右手首の骨折が判明し425日、

茨城県牛久市内の整形外科クリニックで診察を受けた。その際、右手首舟状骨骨折後偽関節 を確認された。医師の診察報告書によれば、緊急性はないが早期の手術を勧める。手術をしないと手首の変形や可動域の狭小の可能性があり、奥田クリニックには手術設備がないので、手術可能の病院に紹介状を作成する。シーネ(患部の補強板… ギプスのように固定はしない)と包帯で固定を受けた。
2017831日現   仮放免許可が出ている(保証金 20万円、保証人Mさん)
入管内の負傷で骨折し3か月もの放置は看過できないものであり、また手術の必要を医師より助言があるにも関わりなく、仮放免許可で出されている。…

2017年7月17日 月曜日
日頃の難キ連活動へのご理解とご支援、お祈りに心から感謝申し上げます。
猛暑の土曜日の午後、7月15日の難キ連チャリティコンサートご来場誠にありがとうございました。
移住者の権利2020キャンペーン賛同企画のコンサートの今回はバッハ「G線上のアリア」に続き
ブラームス「チェロソナタ 1番」、カザルス「鳥の歌」サンサーンス「白鳥」… と
ボーマン先生、ルリ子先生の気迫のこもった素晴らしい演奏ご奉仕に続き、曲目のご説明の後のメッセージでは
今回のキャンペーン賛同企画にも触れ 「僕は日本での生活が38年になります。しかし僕には選挙権はありません」 ボーマン先生のお言葉が演奏と共に心に沁みとおりました。 難キ連の小さな働きに目を向けて下さり、 奥様ルリ子先生と共にチャリティコンサートの演奏ご奉仕は今年で5年目になりました。 心から感謝です。今夏、事務局佐藤の体調不良は広報活動にも支障をきたし、 また毎回ご来場の方々もこの暑さの中で体調がすぐれないとのご連絡があったり ご来場の皆さんは40名と少なかったのですが、ボーマン先生ご夫妻の暖かなご 配慮と御思いに満ちた 心豊かなコンサートを共有できましたことに心から感謝いたしました。 コンサート演奏の前には仮放免難民申請一家のG君が父親の突然の収容後の現状 を報告しました。 長期仮放免難民申請者のAさん、Sさん、Yさん、Mさんを紹介させていただきました。 何年もの非正規滞在者に置かれた生活の苦しさは筆舌に尽くしがたいものがあり ます。 難民問題への関心がようやく拡大しつつある昨今でも、仮放免に置かれた人々の 苦しみへの理解は乏しいままです。 彼らに一日も早く正規滞在化=在留特別許可を!!と切に願ってやみません。 この度のコンサートにはUさんご夫妻、フェリス女学院大学学生時代に難民支援 団体ASPを立ち上げ難キ連と共に協働してくださった大山寛子さん、クルド難民Mさん支援を続けて いらっしゃる周香織さん… 会場の皆さんに四葉のクローバーを、と持参してくださった高城 さん、に何年振りかで再会もうれしい限りでした。 また、毎年ミニバザールご出店ご協働の3Msの会の松丸様はじめスタッフの皆様、 宣教師デボラさん、運営委員佐々木紀久江さんに心から感謝申し上げます。   ありがとうございました。フェイスブック「難民・移住労働者問題キリスト教連絡会」と「佐藤直子」の ページにはクルド難民Mさんの支援を続けられている周香織さんのご報告とお写真をシェア させていただきましたが以下に、周さんのコメントの部分を共有させていただきます。 「難キ蓮のチャリティコンサートに参加しました。 移住連の「移住者の権利2020年キャンペーン ココにいる KOKONI IRU」に賛同 ということで、招かれた難民申請者の方々が「わたしたちも ここにいる」と現状を証言されま した。インドやイラン、タイ、マリなどから迫害を逃れて日本に来た難民申請者の方々 の、アピールがありま...した。日本に保護を求めたにもかかわらず、長年難民として認定されず、先の見えない 厳しく辛い日々を過ごしています。日本の豊かさとは一体なんなのだろうか、と思う一日でした。難民支援者の方々 と久しぶりにお会いできて、いろいろお話しできて良かったです。難民問題はなかなか解決しませんが、 粘り強く支援を続けていらっしゃる方々を、本当に尊敬します。」 網中先生はじめ、渡辺先生、小笠原様、鷹巣様、のお祈りメール、 お一人お一人のお祈りとご支援に心からの感謝を込めて 難キ連チャリティコンサートのご報告申し上げます。

2017年4月1日 土曜日
2016年度は皆様の多大なご支援とお祈りにお支えいただきましたことに 厚くお礼申し上げます。誠に有難うございました。 さて、2016年度最後の一日は午前中は事務局電話対応、午後は牛久入管面会、 一年の活動を凝縮する様な一日となりました。すでに報道されておりますが、3月25日未明、インドシナ難民グエンさんが 牛久収容所で死亡いたしました。名古屋で収容され、名古屋から品川、そして3月15日に牛久収容所に移送され、わずか10日後のことでした。(死因は くも膜下出血です) インドシナ難民として庇護されて40年後、異国の収容施設で激痛に苛まれてこの世を去った ベトナム人男性グエンさんの最後の10日間、聞き取りの内容は深く心に刻まれ、今、何をなすべきか自問しております。 31日午後2時半、デボラさんと共にグエンさんの同国人Bさん(インドシナ難民)に面会、さらに詳細聞き取りを致しました。受付では何の支障もなくすぐ面会室に至りました。Bさんの身柄はまだ心配することはないのでは?と思われましたが もし、あるとすれば他センターへの移送というリアクションが考えられます。この度は、様々な情報が内部被収容者から外部支援者やメディアに伝えられ情報錯そうの面もあり、事実確認が目的ではありましたが難キ連の面会はメンタルケアが主目的であり、昨日もいつもと同じく、インスタントコーヒーのパック、レトルトカレー、名刺…を差し入れました。 ボンさんには保証人Mさんのお名前を出したことで円滑に聞き取りができました。FBに一部投稿致しましたが、時系列に聞いた内容にこれまでにない衝撃を受けました。地獄の苦しみを味わって旅立った… この表現が決して大げさではなかった10日間の状況を、Bさんが話してくれました。 7B棟の各居室にも、断末魔の叫びと訴えが響いた事でしょう。15日に9階の雑居房に入れられた牛久入所時から、 体調不良を訴え18,19,20日 連休中に、発熱、吐血、失禁があり連休明けに7階に移動される際も 通常は車いすとのことですがその時はストレッチャーだったと。またその日に内部医師の診察とレントゲン検査が 行われたそうです。頭部の検査でなければ内臓機能からは異常は発見されていないかもしれません。またグエンさんは日本語も十分ではないため病状の説明などはできなかったとも聞きました。警備官の「うるさい!」「静かにしろ!」の言葉しかかけられなかった絶望感と押し寄せる痛みと苦しみ…まさに無関心、放置という拷問の中で命が絶えたのです。 「刑務所の方がまだまし」と言っていた服役後の被収容者の言葉を思い出しました。 来週は品川の同国人の名前も聞きましたので品川入管内では、まだ発症していなかったことを確認のために面会してこようと思っています。 数年前、品川で死亡したスリランカ人男性のケースも重篤な疾病患者の放置が起因とされており 今回は、当事者の苦しみは10日間という長期にわたって続き、その病名からも、想像を絶する痛みによる訴えを放置したことは拷問と等しいものがあったと思っております。 来週前半にまたBさんに面会致します。 また聞き取りに協力してくれたBさん自身も肝臓の疾患(本人は肝硬変と言っておりました)を持っており
案じております。 グエンさんの死と時を同じくしてシリアからは留学生として受け入れられる難民 の人々が来日いたしました。グエンさん、Bさんもインドシナ難民として日本に迎え入れられたのですが、 言葉の壁もあり、人生の荒波にあらがう事も出来ずに在留資格のはく奪、非正規滞在者となり、就労も出来ず、入管収容施設に送られているのです。 日本は弱者がますます生きにくい社会になりつつあります。特に日本社会の底辺に置かれた難民を含む外国人労働者、 昨日は事務所にいた短い時間にも、労災のクルド人青年のけがについて相談がありました。 皆様、どうぞグエンさんの魂が安らかでありますようお祈りくださいませ。 また、入管施設の中で病を抱える人々が一日も早く外部で治療を受けることがで きますよう、私達が無関心という罪を犯すことがありませんようにどうぞお祈りくださいませ。 季節の変わり目、皆様のご健康が守られますようにお祈りとご支援に心からの感謝を込めて お祈り申し上げます。

2017年3月8日

先週後半から土日を含めて、事務局は
品川入管面会差し入れ、世界祈祷日礼拝出席とお礼のニュースレター配布、病院、大斎第一主日礼拝、日本語クラス、
そして週明け月曜日の午前中は議員会館での会議、その後、相模原市でビザ更新の難民ゴラビさんに入管同行と目まぐるしい週末週明けとなり
ようやく昨日、本日はデスクワーク、PCに向かっております。(その合間に電話でのお問い合わせや相談に対応)
CT,MRIの検査を望んでいるKさんのために住まいの近くの無料定額診療病院探し、ジョセフさんのカナダへの第3国再定住出国(正規出国)に向けての働きかけも
なすべきことを終え、出国準備のための正規滞在化という朗報を待ち望んでおります。
難キ連が向き合っているのは悩みを抱えた難民、難民申請者一人一人であり、出席する会議は、どちらかといえば、日頃の支援活動が対症療法ならば、
外部会議出席での協議、論議が対症療法につながると言えるでしょう。支援現場の声を少しでも行政に届ける事、状況を伝えることが小さな団体である難キ連の使命と覚えます。また、このメールでお祈りくださる皆様のお祈りが難キ連の働きを待つ人々、支援活動の協働の方々、難キ連スタッフを強めてくださっていることに心から感謝申し上げます。
今週特に感謝なことは難キ連難民日本語教室に新しい生徒(難民)Tさんが加わり、かつて早稲田大学学生のカチニーズのリーダーだったSさんが
ボランティアの希望をもって見学に見えたことです。
2011年の閉講まで、早稲田大学学生グループ、カチニーズ(バプテスト同盟 平和教会に集うミャンマーカチン民族にちなんで命名)の学生の皆さんが午前中、
午後1時から芦田先生、高井先生の難キ連難民教室を運営していました。今、立派な社会人として、何かお役に立てないかと日本語クラス、入管面会支援に協働させていただきたいとのメールを先月いただき、無理のない形での協働をお願いしたことろ早速3月5日、見学に見え、N2、N1、N3の指導を順に見学、 最後はデボラ宣教師のメッセー日本語訳をお手伝いしてくれました。 2004年頃~、首都圏の大学生だった方々が現在は皆さん、社会に巣立ち、私生活においても父親、母親になり、それぞれの現在の立場から、再度、難民や移住労働者の問題への関心を深め情報の共有、協働、につながっていることに心からの感謝と、主のご使命、お導きを覚えます。 昨年10月に再開講当時の難民日本語教室は会場、資金、ともに不安を覚えつつもお二人の優秀な専門講師と広い知識と経験で補佐してくださるボランティア講師が
備えられ、毎回充実した授業、指導が続いております。今のところ、6月までの会場予約をしておりますが、継続利用を願っております。 毎回の講座は、主のお恵みとご祝福を実感し感謝と共に、日本語教室運営、この働きが主のみ旨にかない集う難民のお一人お一人に主が道を備えてくださるようにお祈りしております。長期非正規滞在のアフシンさん、Yさん、が日本語資格を取得し、正規滞在化につながることを切に祈っております。 このメールをしたためている間に、シングさん一家の支援者代表柴田様(カトリック)からの電話が入り Kさんのための無料低額診療の病院の送迎ボランティアとしてのつながりの情報をいただきました。感謝!!です。 本日はこれから献品、食料品の難民申請者への箱詰め発送作業に入ります。面会は金曜日午後1時にデボラさんと牛久収容所訪問します。 どうぞ、父親の収容の留守を守るシングさん一家、 長期仮放免のアフシンさん、Yさん、ほか非正規滞在の困難な生活にある人々すべてのため、無国籍の子供たちのために、 難キ連難民日本語教室で学ぶおひとりおひとりのために 日本語教室の継続のために、 被収容者面会支援、第3国再定住出国を望む難民の出国支援、 難キ連の啓発活動、セミナー、チャリティコンサート開催 一つ一つの働きの継続のためにお祈りくださいませ。 長文をお許しくださいませ。 主の御復活を待ち望む季節、どうぞ皆様のご健康が守られますように。

 

難民・移住労働者問題キリスト教連絡会

代表 網中 彰子・事務局長 佐藤 直子

世話人団体(順不同)

 日本カトリック中央協議会・難民移住移動者委員会

 日本基督教団

 日本キリスト教協議会

 在日大韓基督教会

 日本聖公会総

 日本福音ルーテル教会

 日本バプテスト連盟

 日本バプテスト同盟

 日本YWCA

 世話人会 ⇒ 事務局 ⇔ 運営委員会